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2017年10月27日金曜日

茨城交通茨城線、補遺

昨日アップしました「本日の写真」が予想外の反響を頂きましたので、もう少し探してみました。

ケハ2 上水戸


話題の2両目の元五日市鉄道のキハ07+キハ04スタイル気動車の写真は見つかりませんでしたが、コメントを頂いたケハ2のほうは発見しましたので、掲載します。
ケハ2は川崎車両製の小型ガソリンカーで好ましい外観をしていますが、一連の日車製気動車よりも小振りで安っぽく見えますね。
この色合い、確かに伊豆急カラーに似ていますね。


ケハ401 赤塚ー東石川


もう一枚発見したのは湘南顔の気動車・ケハ401だと思います。
この気動車は刀折れ矢尽きた状態で廃業した山鹿温泉鉄道の注文流れ車と言われています。          
こちらも場所は不明です。
⇒平しいちさんコメントで場所が判明しました。
画面左側の植木と画面奥の線路の曲がり方から、赤塚駅と東石川駅の間にあった、赤塚駅から数えて2つ目の踏切だと思われます。列車は東石川駅から赤塚駅へ向かっています』

17 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

匿名さん
ご指摘、ありがとうございました。
訂正させていただきました。

ED4012 さんのコメント...

被写体自体も貴重ですが、茨城線のカラーはあまり見たことがなく(荻原二郎さんの本ぐらいでしょうか)鮮烈でした。変色してしまった昔の紙焼きはゾンザイにしてしまいがちですが、デジタルが進んだ今だったらいい画質で残せそうですね。引き出しに眠っていそうな紙焼きを見直してみようと思います!

chitetsu さんのコメント...

ED4012さん
茨城線は写真自体が少ないマイナー路線ですね。
上水戸の駅構内など我が目で見たかったです。
塗装は今回アップの2輌でも画像の褪色を鑑みても違うような気がしますね。

taiitis さんのコメント...

ケハ401の写真をみてTMS編集の「鉄道車両401選」にしっかりと出てました。
なお、初出は1955-12です
1955年に新潟鉄工所で製造された「電車みたいな」ディーゼルカーと評されてました。
当時の国鉄のディーゼルカーと比較されていたようです。
よその会社の注文流れとは知りませんでした。

原口 悟 さんのコメント...

ケハ2は前面の2枚窓が良くも悪くも個性を付ける点だと思います。私見ですが、前面2枚窓が両側2段窓なのは、鉄道コレクション猫屋線のキハ1型気動車で典型的な、軽便鉄道の気動車によく見られる形態で、「軽便鉄道感」を感じさせてしまうのが、「日車型気動車」と比べると損をしていると思います。

余談ですが、後ろに見えるタンク車が「ゼネラル石油」の恐らくタキ35000形で、石油元売り会社がそれぞれタンク車を持っていた頃の風物です。タンク車は昭和40年代後半から輸送会社(日本石油輸送、日本陸運産業)に集約される傾向が始まるので、石油元売り業者のタンク車が車庫まで石油を持ってくる光景は写真の頃から全国的にも珍しくなってきているはずです。

ケハ401は、同形車が有田鉄道にいました。また、茨城交通でも略同形車と言えるケハ402、さらに現在も車体が残っているケハ601を作っています。ケハ402の方はバス窓を取り入れた新しい形態になっています。その後茨城線の廃止に伴って湊線に移動し、さらに留萌鉄道から湘南型前面のキハ1001, 1002, 1103が移籍してきており、「湘南型前面の気動車」の一群をなしていました。

福フチ さんのコメント...

プロジェクトI(なんやそれ??Ibaraki)でこの色を塗ろうと思っています。
プロジェクトKやTもまだまだなので、さていつになることやら?

chitetsu さんのコメント...

taiitis さん
電車みたいな気動車というのは、地方私鉄ではたまに見かけますね。
実際に電装を想定して設計したものもあっとようです。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
個人的には正面二枚窓で窓桟付きというと、日車の車輌のイメージが強いですね。
軽便では車幅が狭いこともあってか結構見かけましたね。

chitetsu さんのコメント...

福フチさん
様々プロジェクト目白押しですね!
KとT、何か気になります。
私だったら琴電と東武????

三等急電 さんのコメント...

貴重な茨城交通旧塗装時代の画像を紹介いただき、ありがとうございます。

可愛らしいケハ2は、予備車とはいえこのような小型車が稼働状態で残り貴重な存在でした。
なお、湊線で予備車として残っていた同形のケハ1はディーゼル化されず、沼尻のガソ101や加悦のキハ101(その後ディーゼル化)とともに国内現役最後のガソリンカーでした。

湘南顔ケハ401は、皆さんが書かれているように山鹿温泉鉄道が発注主で、低い低いドアステップがその証です。
その山鹿温泉鉄道は、水害による大きな損害が発生したため購入できなくなり、苦肉の策として本物のバスを改造した正真正銘のレールバスを導入しました。
なお、有田鉄道に納入された同系車は側窓が一段上昇式で国鉄電気式気動車を両運転台にしたような外観でした。

茨城交通では、ガソリンカーを「キハ」ディーゼルカーを「ケハ」(軽油の「ケ」が由来とか)としていましたが、ガソリンカーが無くなったためか北海道からやってきた炭鉱鉄道譲渡車以降はディーゼルカーも「キハ」になりました。
機関車も同様に「ケキ」でした。

chitetsu さんのコメント...

三等急電さん
ケハ401の大きく下がったステップは印象的ですね。
折角の湘南顔も台無し・・・な気がしちゃいます。
「ケハ」の命名理由はそこからなのですね。

原口 悟 さんのコメント...

「ケハ」の符号の由来ですが、南満州鉄道から持ち込まれたとする説があります。南満州鉄道では軽油動車を「ケ」としたのと同様に重油動車を「ジ」、揮発油(ガソリン)動車を「キ」の符号を付けており、有名な「ジテ」編成は重油動車であることがわかります。

日車型気動車は江若鉄道の「日車型流線型」を導入した一群のイメージが強く、それ以前の標準型に気づきませんでした。調べてみると、現在も保存されている佐久鉄道キホハニ56は初期の日車の車で、形態としては猫屋線キハ1によく似ています。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
附番の由来というのは起源が今一つ判然としないものがいくつかありますね。
「ジ」は軽便では結構お馴染みですが、「ケ」はちょっと違和感感じるのは、その由来からかもしれないですね。

三等急電 さんのコメント...

原口さん
「ケハ」の符号の由来について教えていただき、ありがとうございました。

三等急電 さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
平しいち さんのコメント...

貴重な写真をアップいただきありがとうございます。
私は、茨城線が御前山まで営業していた当時から赤塚駅近辺に住んでおります。
ケハ402の撮影場所ですが、画面左側の植木と画面奥の線路の曲がり方から、赤塚駅と東石川駅の間にあった、赤塚駅から数えて2つ目の踏切だと思われます。列車は東石川駅から赤塚駅へ向かっており、画面右側は常磐線の跨線橋(歩行者専用)へ、左側は飯綱神社へと続く狭い道です。現在、線路跡は拡幅され舗装道路になっています。
他にも茨城線の写真をお持ちであれば、是非とも公開していただけますよう、お願いいたします。

chitetsu さんのコメント...

平しいちさん
コメントありがとうございます。
場所の特定をいただき、ありがとうございます。
記事を更新させていただきます。
廃線後に一度行きましたが、どこがどこかまったくわかりませんでした。
写真は掲載したものが、残念ながらほぼすべてです・・・。