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2012年7月27日金曜日

富士急行の今を見てきました

梅雨らしくない梅雨が明けていよいよ夏本番、子供たちは夏休み。
ということで、週末の渋滞を避けて子供に負けずに(?)一日夏休みを取って、JRの電車が入って元京王の5000系電車の先行きに暗雲が垂れ込め始めている、富士急行の今を見に行ってきました。

モハ1305 12.7.25 三つ峠ー寿
三つ峠から寿間は昔からの有名撮影地、30年ぶりに訪問しました。
どの程度変わっているのか、お得意になりつつある今昔レポートです。
まずは夏らしい画像から。
例の水戸岡氏デザインの富士登山電車を農家のおじさんにお願いして、畑の中に咲いていた向日葵を入れて夏っぽく撮ってみました。

この区間は勾配がきつく、Wの字型に線路が迂回しながら高度を稼いでいます。
上の向日葵の場所のちょっと上にある踏切から昔元国鉄のクモハ14を撮っていたので、今はどうなっているか見てみたくなりました。
モハ7031 79.9.29 三つ峠ー暮地



これがその時の写真です。
年齢的に国鉄時代に見ることが叶わなかったクモハ14ことモハ32を始めて見たときの嬉しさは忘れられません。午前中は二編成バラバラで運用されていたものが、運良く4漣になって大月を目指して坂を下っていきました。
当時は「寿」駅ではなく「暮地」駅と言う名称でした。
聞くところによると「墓地」と良く言われていたことから改称したとの話を聞いたことがあります。
まだ寿駅周辺には「クレチ薬局」のように、昔の名前が生きています。
モハ1002 12.7.25 三つ峠ー寿
そしてこれが現在の同じ場所です。
昔の雰囲気がそれなりに残っていて一安心です。

モハ3102 79.9.29 三つ峠ー暮地

次は一つ三ツ峠寄りの踏切に行ってみました。
以前の訪問時はオリジナルの初の高性能車、3100形をここで捉えています。

モハ1101 12.7.25 三つ峠ー寿
邪魔物が意外と多く、少しズームして同じ場所を撮ってみました。
丁度、リバイバルカラーの電車がやって来ました。
手前の畑が荒れているのがちょっと淋しいです。
このような農地の荒廃は全国的に見られており、日本の農耕文化が弱体化している気がしてなりません。

モハ1101 12.7.25 三つ峠ー寿

同じ電車の折り返しを少し寿寄りに移動して撮りました。
ずっと線路に並行して道路が作られていて、最後の仕上げ状態でした。

モハ7032 82.4.1 三つ峠ー暮地
こちらは有名な築堤を俯瞰気味に撮れるポイントです。
ここの今はどうなったでしょうか?

モハ1205 12.7.25 三つ峠ー寿
こちらは随分と撮りにくい状況になっていました。
手前に道路ができ、電柱も林立しておりそれをカットすると同じアングルでは撮れませんでした。
富士登山電車が登ってきました。
車内は平日にも拘らず結構な賑わいでした。

モハ1202 12.7.25 三つ峠ー寿
その新設の道路から撮ったリバイバル色第一弾。
この色、似合っている気がします。

モハ1205(左)、モハ1001(右) 12.7.25 河口湖

河口湖にも行ってみました。
リバイバル第二弾と富士登山電車が並んでいました。

モ1 12.7.25 河口湖

駅前に置かれている創業時の電車、モ1は塗装工事中でした。
上田交通時代の写真はこちら(⇒二日酔の上田交通訪問)。

暑い一日でしたが、まだまだ元京王5000系が主力で活躍中で、見てみたかった元京王の電車各種が一通り見れて、まずは満足できた富士急行ハイクとなりました。

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